揉み解してもらって、お客さんが「楽になった!」と思う・感じる
のは自由ですが、提供する側が〇〇の技術を提供したから楽になる
と思っていたら問題です。
逆に言えば、「楽にならない!」時に何が問題か判らずに〇〇を提供
しているといえます。
『何でも良いけど、どうでもよくない』
身体の中で何かが起きているから楽になる訳です。
方法は何であれ、楽になるなら良いです。とはいえ、「なぜ?」は重要です。
「別に技術を提供した結果、楽に出来たら良いじゃん!」と言う方、
「技術の形を作る事が重要だ」と何のためのアプローチかを教えない・
教えられない方が過去に多々いらっしゃいましたが、実際に身体の中で
起こる変化は『どうでもよくない』、絶対に理解する必要はあります。
正直なところ、『過去に多々』おられた方々と関わっていくのが
嫌で団体は抜けています。中身の無い施術は今は良かったとしても、
後々何かしらのトラブルを引き起こす可能性を持ち続けます。
例えば、アジャストメント(バキバキ、ポキポキ鳴らす、いわゆる矯正技術)
で関節を動かすといわれるもので何が起きているのか?
大概の場合、『動いた』『関節が動きました』で終わるのではないでしょうか?
一昨年、何が起きているか?を伺った時は衝撃でしたし、その後に論文も調べました。
何が起きて、どうして変化するのか?が分からなければ、施術後に今後の
指導はできないのではないでしょうか? それがはっきりしない状態で提供する
のが嫌で使わない時期がありましたし、今でも必要が無ければ一切使いません。
実際に技術だけ習っていたら「そんな事は知らなくても・・・」となりがちですし、
自分の感覚だけに頼った理論無しの技術では、いざスランプが起きた時に復旧する
道しるべも無く、感覚を新たに作るしかありません。
今は、そんな時に立ち返るべき基本は技術の形、感覚では無いと思っています。