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みのみpt8 揉み解されて楽になったと思うのは自由ですが

みのみpt8 揉み解されて楽になったと思うのは自由ですが

揉み解してもらって、お客さんが「楽になった!」と思う・感じる
のは自由ですが、提供する側が〇〇の技術を提供したから楽になる
と思っていたら問題です。
逆に言えば、「楽にならない!」時に何が問題か判らずに〇〇を提供
しているといえます。
 
 

昨年、ASTRで教わった沓脱先生の言葉

 
『何でも良いけど、どうでもよくない』
 
身体の中で何かが起きているから楽になる訳です。
方法は何であれ、楽になるなら良いです。とはいえ、「なぜ?」は重要です。
 
「別に技術を提供した結果、楽に出来たら良いじゃん!」と言う方、
「技術の形を作る事が重要だ」と何のためのアプローチかを教えない・
教えられない方が過去に多々いらっしゃいましたが、実際に身体の中で
起こる変化は『どうでもよくない』、絶対に理解する必要はあります。
 
正直なところ、『過去に多々』おられた方々と関わっていくのが
嫌で団体は抜けています。中身の無い施術は今は良かったとしても、
後々何かしらのトラブルを引き起こす可能性を持ち続けます。
 
 

学び直しをはじめて分かった事

 
例えば、アジャストメント(バキバキ、ポキポキ鳴らす、いわゆる矯正技術)
で関節を動かすといわれるもので何が起きているのか?
大概の場合、『動いた』『関節が動きました』で終わるのではないでしょうか?
 
一昨年、何が起きているか?を伺った時は衝撃でしたし、その後に論文も調べました。
何が起きて、どうして変化するのか?が分からなければ、施術後に今後の
指導はできないのではないでしょうか? それがはっきりしない状態で提供する
のが嫌で使わない時期がありましたし、今でも必要が無ければ一切使いません。
 
実際に技術だけ習っていたら「そんな事は知らなくても・・・」となりがちですし、
自分の感覚だけに頼った理論無しの技術では、いざスランプが起きた時に復旧する
道しるべも無く、感覚を新たに作るしかありません。
今は、そんな時に立ち返るべき基本は技術の形、感覚では無いと思っています。
 
 

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